大量生産社会における手仕事の意味

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現代社会は歴史上最も物があふれている時代です。

コンビニは日本だけでも5万店以上あるし、100円ショップも約9千店存在します、そこで売っているほとんどの商品が大量生産品であり、決められた形を、何百個、何千個作ります、もちろんそれだけの数を作るためには一つ一つ手作業で作るわけにはいかず、大部分を機会が生産しています。

安価で必要なものを手に入れれるということは、とても経済的に楽になります、そういう意味で言えば、大量生産品は私たちにとても貢献してくれています。需要があるからこそ、これだけ社会に浸透しているのです。

ただその結果手仕事の存在が危うくなってしまいました、大量生産品は多少品質に目をつぶれば十分使えるものです。手仕事の物は品質的に言えば作る人によってピンからキリまでですが、値段においては、総じて高価です。

一つ一つ手作りすれば当然時間もかかるし、個数もそう多くは作れません。作り手の人の生活もありますし、材料のコストもかかります。

安価な大量生産品が生まれたことによって、手仕事は自ずと必儒品という立場を失いました、そこから新しい価値を探す必要性が生まれたのです。

手仕事の価値

まず言えるのが高級品の製作においては、手仕事の価値はいまなお輝いています、一品物の製作は他と違うものを作る必要性があるから、作り手の趣向がかなりダイレクトに反映されます、そこにはほかにないもの、ほかの誰にも作れないもの、世界に一つしかないもの、そういった希少性があれば、国や美術館、コレクターに購入されます。

 

では使用品としての手仕事の価値は何でしょうか?

使うものにはその人の価値観や、主張が現れます。職人の作った靴を履く人は、きっと身だしなみに、こだわっている人だし、漆のお椀を使う人は、自然素材や、天然のものに興味がある人でしょう。一品物の包丁を使う人は、一流の板前さんかもしれません。

いい物には必ず作りての思いが込められています、使う人のために、細部まで、こだわりぬいています。

神は細部に宿ると。

こういったことは手仕事ならではの良さだと思います。

そしていい物は大事にしたくなります、大事に扱うことでより愛着がわくのです、本当にいい物であれば様々なことを学ばせてくれるし、見つけさせてくれるのです。

 

ぜひあなたも手仕事の物を買ってみてはいかがでしょうか。

 

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