~天才絵師~尾形光琳の型にはまらない生き方

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燕子花図

今回は尾形光琳の型にはまらない生き方、そこから生み出す素晴らしい作品についての記事です

三つの国宝を生み出した男の素顔とは。

 

 

尾形光琳

生きた時代は江戸時代の元禄時代(1688-1704年)の頃で、その時代は元禄文化と言われるほど、文芸、学問、芸術などの文化が著しい発展を見た。

江戸の文化が正に花開いた時代だった。

そんな中、芸術の分野で大活躍したのが天才絵師尾形光琳だ

社会や歴史の教科書に載るほど日本の文化に影響を与えた。

 

尾形光琳は京都の裕福な雁金やの次男坊として生まれた。

親が文化人であったので、光琳も小さなころから能や絵に親しんでいたようである。

その頃から人から注目されるような、センスの良さがあった。

そのセンスは後年絵師として光琳を大きく大成させた要因である。

 

しかし自由奔放な所もあったようで、偉い人の注文を気が乗らないからと断ることもあった。

 

女性関係の方はかなり派手だったようで、何人もの女性と関係を持って問題を何度も起こしたり、妻以外の4人の女性に子供を産ませたり、京都の花街、島原に頻繁に通ったりしていたようだ。

江戸時代は当然今と倫理観が少し違うだろうが、当時から光琳は遊び人で有名であった。

女の敵のような今でいうダメ男だが、そういった人間特有の周りに縛られない考え、自分勝手な所は光琳の作品にも表れている。

 

光琳の作品

尾形光琳の作品は三つ国宝に選ばれている、ほかの作品もいくつも重要文化財に指定されている。

光琳の作品は装飾性が強くとてもセンスがいい。

そこに気持ちのいいリズムがある。

 

派手で見栄えがいいのにいやらしさが感じられず、むしろ気品にあふれているから不思議である。

江戸時代の文化の絶頂を華やかさを見事に表現しているように感じる。

同じ時代の流行に流されず、新しい流行を作り出した光琳は生き方も作品も自由奔放であった。

その縛られない自由さが光琳が天才と言われる所以ではないだろうか。

 

尾形光琳が生み出した三つの国宝

国宝の内二つが絵画で一つが工芸品である。

  • 絵画
  • 「燕子花図」根津美術館
  • (かきつばたず)
  • 「紅白梅図」MOA美術館
  • (こうはくうめず)
  • 工芸
  • 「八つ橋蒔絵硯箱」東京国立博物館
  • (やつはしまきえすずりばこ)

 

「燕子花図」

見事に図案化された燕子花が画面いっぱいにリズム良く配置されている、光琳のセンスのすばらしさが見事に表現された絵画である。

燕子花図

 

「紅白梅図」

光琳晩年の作と言われている。自由奔放に生きたからこそ、酸いも甘いもかみしめるほど経験したであろう作者のセンスと人生の深みが合わさった代表作。

 

「八つ橋蒔絵硯箱」

装飾の画家と言われた光琳が、硯箱に装飾を加えた、まさに水を得た魚のように生き生きとした自由な発想は、とどまることなく硯箱を覆っている。

 

 

江戸の天才絵師

日本の歴史に残る絵師尾形光琳、誰にも縛られない自由な作風はほかの同時期の絵師とは一線を画している。

天才というのは人とは違うという意味でもある。

光琳はそういう意味で正に天才であろう。

私生活では女にだらしなく、金銭的にも常に余裕がなく困窮していた、そのだらしなさは何物にも縛られない感性から来ていたのかもしれない。

その感性を生かす場所が作品であった。

作品とは作家自身を表現することだ、光琳の作り出す芸術は彼自身から生まれている。

型にはまらない、いや型にはまれない男だったのだろう。

その男は素晴らしい作品をいくつもうみだした。

その作品を見るために多くの人が今も美術館に足を運んでいる。

 

 

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