漆黒のつやと、きらめく金の世界~安曇野高橋節郎記念美術館~紹介

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先日長野県安曇野市にある、高橋節郎記念美術館に行ってきました。

 

今回は漆芸家で現代工芸美術の大家である高橋節郎の紹介と、その作品を展示している、高橋節郎記念美術館を見てきた感想を書きました。

 

 

高橋節郎記念美術館


長野県安曇野市で高橋節郎は生まれ育った。そしてその場所に高橋節郎記念美術館は建てられている。

周りに建物はほとんどなく都心からも離れのどかな田園風景が広がっており、空気がおいしそうな場所だった。

美術館自体はそれほど大きくはなく展示室も私が見たときは小さい展示室が二つと大きな展示室が一つだった。

けれど展示室の大きさで美術館の価値は決まらない、大切なのは何をどのように展示するかだ。

 

美術館の敷地内には高橋節郎の旧家であるかやぶき屋根の古き良き日本家屋が残っており、その家の庭には色とりどりの木が生えており、ここに住む人たちはきっと、日本の豊かな四季を楽しんだんだろうなと思いはせた。

かやぶき屋根の家の中は入ることができ、縁側に腰かけて目の前に広がる紅葉や樹木を落ち着いてみることもできる。

美しい家と庭で少年時代を過ごした高橋節郎はきっとその影響を受けたに違いない。

キュビズムや抽象表現をしながらも高橋節郎の空間の取り方はとても日本らしさを感じる、何より漆という素材を選んだことがそれを顕著に表しているのではないだろうか。

 

 

展示作品


展示数は決して多くはなかったが、その分一つ一つの作品をじっくりと見ることができた。

そしてじっくり見る価値が展示されている作品たちには確かにあった。

一人の作家の作品の遍歴を見ることはとても面白い、選ぶモチーフや材料、作風が全く違うのにどこかに共通点があるような気がする。

一人の人間が生きて考えて、作り出した数々の作品、高橋節郎の作品には見る人を立ち止まらせ引き込む強い力があった。

同一作者の作品が多ければ多いほど、その作者の考えは良く伝わるのである。

 

高橋節郎野について


高橋節郎は漆のプリミティブ(原始的な根源的)な美しさを見出していたのだと思う、だからこそ漆の表面を彫るそうきんという技法を選択したのではないだろうか。

彫るという行為は最も原始的な表現方法で、世界最古の絵は壁に彫られた壁画である。

漆という素材も古くから私たちの生活や美術に大きく関わっている。

そして高橋節郎は漆芸家の中で初めて漆を用途から切り離し、純粋にアートの素材として漆を扱った。

原始的でありながら新しいことを挑戦する、そこにはきっと確固として表現したいコンセプトがあったのだろう。

だからこそ誰もしていないことを成し遂げた。

その功績は文化勲章を受章するなど、高く評価されている。

  • 1940年(昭和15年)- 紀元二千六百年奉祝展「虜美人草(ひなげし)之図小屏風」を出品、入選
  • 1946年(昭和21年)- 第1回日展「菊籬蒔絵文庫」を出品、入選
  • 1953年(昭和28年)- 第9回日展審査員に就任
  • 1965年(昭和40年)- 第7回新日展出品作「化石譜」により日本芸術院賞受賞[1]
  • 1976年(昭和51年)- 東京芸術大学美術学部教授に就任(1982年に退任)
  • 1981年(昭和56年)- 日本芸術院会員
  • 1984年(昭和59年)- 紺綬褒章受章
  • 1986年(昭和61年)- 勲三等瑞宝章受章
  • 1990年(平成2年)- 文化功労者を顕彰、長野県芸術文化功労者受賞
  • 1995年(平成7年)- 東京芸術大学名誉教授に就任、豊田市美術館髙橋節郎館開館
  • 1997年(平成9年)- 長野オリンピック公式記念メダルをデザイン、文化勲章を受章
  • 1998年(平成10年)- 豊田市名誉市民となる
  • 2003年(平成15年)- 都営地下鉄大江戸線汐留駅の陶壁レリーフ「日月星花」が「日本の鉄道パブリックアート大賞」の国土交通大臣賞を受賞、出身地の穂高町(現:安曇野市)に安曇野髙橋節郎記念美術館開館
  • 2007年(平成19年)- 肺炎のため死去、92歳。

(Wikipedia参照)

 

 

鎗金と沈金


鎗金は中国発祥の技法である。

漆の表面に先のとがった針などで彫って模様を描き、その模様の中に金や色を沈め定着させる技法である。

日本には室町時代ごろに伝わった。そこからいくつかの改良があり現在日本では沈金と呼ばれている。

技法は彫ったところに金を沈めるというとてもシンプルな物なので昭和初期の頃は各漆産地で行われていたが漆産業の衰退とともに行われなくなっている。

輪島市では現在でも多くの沈金師がおり、すぐれた作品を作り出している。

 

なぜ高橋節郎は自分の技法を鎗金と明記したのだろうか、ここからは私の勝手な想像だが沈金は彫ってその彫り味や彫り方を重視している。対して高橋節郎の鎗金は彫り方にあまり重視しておらず、自己表現のための手段であってそこに従来の沈金という型は重荷だったのではないだろうか、沈金と明記していれば必ず誰かがこんな彫り方は沈金ではないと批判したに違いない。

自分の技法は鎗金と明記することは、芸術家として自分で道を切り開くという覚悟の表れなのではないだろうか。

ほとんど妄想です。

 

 

高橋節郎美術館では高橋節郎の作品を展示する以外にも、若手工芸作家に作品の発表の場を提供したり、沈金体験ができたり、日本の文化を広げる取り組みを精力的に行っています。

是非機会があれば足を運んでみてください、漆という日本で古くから使われてきた素材には様々な可能性が広がっています。

高橋節郎の作品を通して漆というものに興味を持ってみてはいかがでしょうか。

http://azumino-bunka.com/facility/setsuro-museum/(安曇野高橋節郎記念美術館リンク)

 

 

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